夜。
栗林先生が来る。
白衣の下は白いＴシャツとベージュのジーンス。
そうやっていると、先生は普通の男の子にみえる。

あれは高校の頃だ。同じクラスの男の子が、休み時間、教室の隅で、そうやって私を見ていた。帰りの電車の中でも、彼は私を見ていた。ちょっと好きな男の子だった。たしか宮前くんという名前だった。付合いたいなと思っていた。なのに、そのあと両親が亡くなって、そんな気持ちもどこかに行ってしまった。
その宮前くんが、今ここにきて、私を見ているような気がする。
先生が立ちあがる。先生は部屋を出て行こうとしている。入り口でおやすみなさいと言っている。
宮前くん、もう行ってしまうの？
もう少しここにいて？まだ何も話してないじゃない？

気がつくとぐらりと胸が動き出していた。
ことり、とくり、こと、こと、とく、とく。
病院に来て初めての発作。

（顔を上げて）「先生、胸がどきどきしています」

先生が戻ってくる。
私は手を差し出す。
脈拍を測る先生の指が私の手首に触れて、脈はますます早くなっていく。

早いな…　失礼、胸を…

私はパジャマの胸を開く。先生は私の胸に聴診器をあてる。
聴診器の向こうは、どんな音が聞こえているのだろう。
今、私の胸のなかで、カスタネットを夢中で打ち鳴らしている子供がいる。
初めて手にした楽器は、カスタネットだった。
―いやだ、疳の虫が起きたのよ、ひやきおーがんを飲まさなきゃ。
母親がそう言うと、横から父親が、
―いいから、叩かせておきなさい。ほら、笑ってるじゃないか、こずえは楽しいんだよ。
叩いて叩いて叩いて、私はとうとうあのカスタネットを壊してしまった。
大好きだったのに。気に入っていたのに。
とくとくとくとく、とととととと。
カスタネットが壊れて行く。
胸に当てられた冷たい聴診器。その上の先生の指。

結局、病気の正体はわからなかった。
病院にまで見放されてしまった気がする。
こんなに気分が悪いのになにも治療してくれない。

退院する前の夜。
栗林先生がやってきた。
カーテンを引き忘れた窓に映っている先生の背中と私の顔。

（顔を上げて）「先生、窓を見て」
先生が振り向いて、夜の窓をみる。微笑んだまま私は窓に映る先生の顔をみる。
先生の目が窓に映る私の目をみかえす。先生も微笑む。
みつめあうよりもみつめあう感じがする。