家に帰ると一〇日分の埃が溜まっていた。
栗林先生が来る。
水槽で亀吉がむぞむぞと動いている。ほったらかしていてもちゃんと生きている。
亀吉はえらい。
冷蔵庫には何も入っていなかった。
恩田さんの好きだったチキンラーメンが残っていたのでそれを食べる。
恩田さんから連絡はない。

今日、専務さんがやってきた。
恩田さんが会社で倒れて、病院に運ばれたのだという。ずっと意識がない状態だそうだ。
私はとても信じられなかった。だって恩田さんは、私が入院する前にもここに来たのだ。入院のためのお金をくれて、入院中はあえなくなるけどと、いいながら、でも、とてもやさしく慰めてくれたのだ。
あんなに元気だったのに。ジムにも通って、若々しい身体をしていたのに。

（顔を上げて）「お見舞いにいっていいですか？」

いいえ、病院には奥様やお嬢様が毎日交代でいらっしゃっています。あなたのことはあちらのお宅はなにもご存知ないのです。社長は、家ではやさしい夫で父親で、奥様は愛人がいるなんて思ってもいらっしゃらないでしょう。あなたに奥様を傷つける権利はありません。

それは本当のことだろう。恩田さんは家庭を大事にしていた。

残念ながら社長の回復は難しいと思われます。

可哀相な恩田さん。

会社のことは私が奥様から一任されています。私は社長とは会社創設の頃から共に苦労してきました。

そうだろうか。恩田さんはそうは言っていなかった。専務さんのことを、腹のうちのわからない奴だと警戒していた。

この家のことなのですが、

私は水槽の亀吉をみていた。

ご承知のことと思いますが、この家は会社の名義になっています。

亀吉はのろのろと歩いている。亀吉に餌をやらなければ。

ですが、しばらくはお待ちいたします。あなたにもいろいろとご事情がおありになることでしょうし。

亀吉はガラスに突き当たって動けない。

いついつまでということではありません。引越し先が見つかるまで、お待ちいたします。

私は亀吉から目を離し、専務さんを見た。
（顔を上げて）「引越し先？」

そうです。それから、申し訳ありませんが、送金の方は今月で打ち切りということにさせていただきます。もちろん、社長が回復されれば話は別ですが。

専務さんが帰ったあと、私は、亀吉に餌をやりながら、話を整理してみた。
一つ、恩田さんの意識はもう戻らない。
二つ、この家は私のものではない。
三つ、私は引越しをしなければならない。
四つ、送金は打ち切りされる。
以上。
体中がざわざわしている。また動悸が始まった。